多様性のおはなし

私は高校の頃から自分を表現する身近なツールとしてファッションを楽しんでいた。なので大学も服飾系を選んだ。文化服装学院という服飾専門学校の名前を知ってる方も居るかも知れない。ファッションに携わる人でその名を知らぬ者にはそうそう出会わないが、私は同キャンパス内の大学に進学した。

 

文化は凄い。服に興味が無い人からするとキャンパス内は余りに異質な光景に見えるだろう。新宿にある小さめのキャンパスの為、学部学科専門関係無く交流が行われる。主にファッションと煙草を通してだ。

文化生の喫煙率は非常に高い。特に服ヤクザで構成される文化服装学院、専門生の喫煙率は90%を超える(体感)

煙草はファッションに付随する物だ。

特に改正健康増進法施行前は天国だった。喫煙所は有るけれど「キャンパス内どこで吸ってもまあええで」な程アナーキーだった。バチバチに決めたfashion kids達がそこかしこでヤニを喰らっている。

 

 

というのが文化のほんの一側面だ。「奇抜やナルシズムや煙草で俺イけてるとかクソダサいな」というコメントも有るだろう。

 

 

文化生の良い所を1つ紹介すると、彼らは多様性に関して非常に柔軟で有る。というのもファッションを愛する事でアイデンティティを確立してきた彼らに執って、他人のアイデンティティの否定は、己の自己同一性を揺るがす物と同義だと既に理解しているからだ。

つまり許容される表現の範囲内なら、気に入らない服装の人間を見てもお互いを尊重し不可侵を保たねばならない。勿論それは服に限定されず、人種、性同一性、思想等有りとあらゆる物に適用される。

(許容は他者や自分を傷付けない範囲内で)

 

文化にはファッションに限らず多様な人種、性同一性を持った人間がいるがそれらに対し文化生は無関心で、必要な時だけ関心を持つ。

だから「文化」という場所は自分らしくあれて、居心地が凄く良い。

 

 

しかし哀しい事にネット上では過剰防衛的なアイデンティティの侵害が無限に有る。現実で対面する会話とは全く異なり、ネット上では人の存在を感じ難いのだ。人を感じても尚多様性を認めたり他人の感情に共感し難いなら、殊更ネット上では思いやりを疑うプロセスは存在しない。

頭に浮かんだ言葉がどの様な影響を及ぼすか考える間も無くコメントする。更にネット上では自身の圧倒的間違いを諭されても簡単に逃げる事が出来る。ここで都合の良い合理化(私は絶対正しい)(お前が悪い)やコメントを消して無かった事にする(反省する間も無く)と、その度に認知能力がどんどん歪んでいってしまうだろう。

 

 

 

私はその日「男性 ピアス」と検索でヤフーしていた。私自身(一人称として、私、を選択していますが僕は男です) 左耳に6個ピアスを開けている。

 

あるまとめサイトに辿り着いた。「男性のピアスはかっこいい?何歳まで?」に対する女性へのアンケートまとめらしい(ライターも女性。後にこの人の記事に夢中になる)

 

以下、アンケートの意見を少し紹介させて頂く(笑いを堪えらない様子)

 

 

回答者1「男の人って、普通ピアス開けなくないですか? 人と違うことをしている時点でナルシストだなって思いますけど」(30歳)

 

ライター 「男性のピアスは少数派。なので、ファッションに気を遣っている、人と違うことをしている、という時点でナルシストなのでは?という意見です。」

 

回答者2「大人になってピアスをしていたら、“中2病か!”って思いますね。せめて大学生までにしてほしい」(28歳)

 

回答者3「右耳だけピアスを開けている男性を見ると、“ゲイなんだなー”と思います。ピアスを開けている人は女性的なイメージなので、右耳じゃなくても疑いますね」(27歳)

 

ライター

(女性が左につけるのはレズビアンなんたら〜

女性が両耳に付けるのは普通ですんたら〜)

男性も、両耳につけるということは「特別な意味を持たない」と言われています。が、一部では「バイセクシュアルである」というアピールだという意見もありました。

 

皆さんはこれらを見てどう思いましたか?私はめちゃくちゃ爆笑しました。

確かに自分が知らない事を知る方法なんて知らないですよね。

自身が認知出来る範囲がこの世の全てである!、、なんてソクラテスに殴られますよ。

 

無知の知ハレ。自分の思考に疑問を持たねばなりませんね。

 

修行中の私は考える事が大好きですが、全てに疑問を持ち正しさを求めるので時たま思考が苦痛になります。そこら辺の話はまた今度で。アーーーーー