流行としてのファッション

 

服を纏う。装いというモノは遥か昔からヒトと関わりが有り、強いて言うならば衣服を身に付ける事が人を人たらしめてるとも言えるだろう。

 

そもそも全裸でもオッケー^_^だったヒトが何故、衣服を纏うようになったのか。一説には急所(チン棒)を守る為だとか、狩った動物の毛皮によって優位性を示す為だとか諸説あるらしい。

「それが生存に必要だから」服を着るようになったんですね。

 

今では装いの概念は「ファッション」として、着飾る事で個々人のアイデンティティを確立するツールに変化しています。

しかし現代におけるファッションは自由であるが故に不自由で有りそして必ずしも必要なモノでも無くなっています。

 

そこで仕事をしているのが「流行」です。

流行は普遍化と差異化という相反する欲求を同時に可能にします。

 

流行に乗る事で安心感を得る、同一化

流行に「乗らない」事で安心感を得る、差異化

 

NEW STYLEな奇抜な装いも一般に受容されるとやがては普遍的な装いとして社会に認知されスタンダードとなります。

ファッションに限定されず全ては何かの模倣であり、上記のスタンダード即ちファッションの選択肢が増えればそれに伴う模倣により新たな流行が生まれます。

 

私は流行には乗らずにファッションを楽しみたい人間なので、装いのレパートリーが増える事で模倣ができる(模倣×模倣=オリジナル)

のは嬉しい限りですが、そうでは無く流行に乗る事で安心したい人々は今後選択肢が増えていくと自己同一性が不安定化してしまうのでしょうか?

 

それとも逆に流行という概念が薄れ今より遥かに個々人のアイデンティティは差異化され、お互いの多様性を認め合える社会になるのか?

 

私は後者を夢見る。街を歩けば誰もがファッションを楽しんでいる世界を。